大分県菅蒲鉾店の孔雀は飛ばない でも美しくキシキシ美味しい その 続き1

のに、地図を見ながら進んでいるのに目的の店につかない。途中のガソリンスタンドで聞く。もう大丈夫と思ってすすんでもやっぱりつかない。時間はどんどん過ぎて行く。この私が頼んで話を聞かせて下さいとお願いしているにもかかわらずだ。一度通った道は覚えるタイプだ。でもここは初めての土地。気ばかりが焦る。携帯で道に迷っていることを菅かまぼこ店さんに連絡する。やっと、やっと着いた。寒い季節なのに外で待っていてくれている。申し訳ない。

    挨拶もそこそこにすぐ、自分がかまぼこ作りを失敗し、そもそものかまぼこを作るきっかけになった本「大分県の食べ物」に載っていたかまぼこを作っている女性の写真のルーツをたずねてここまできたことを説明した。するとさっそくまずかまぼこ作りがどんなに大変なことなのかを説明してくださった。魚の身を擦っても、すぐ蒸さないで寝かせるとか。ねかせるならどのくらいなのかの時間も大事だろうし。蒸したらすぐ食べられるのではなく、やはり頃合いがあるようなのだ。一つ一つの工程に大事な加減があった。もっと言えば魚選び、鮮度、擦り具合等々。はてしなく要所要所におろそかにできない点があるようなのだ。それをほぼ全部はずしながら作ったのだからうまくいく訳がない。聞いていて思った。かまぼこをなめていたことを。私は今までかまぼこを作っているところはみたことがなかった。テレビでも見たことはなかった。でもいつでもすぐそばにあったし、値段も手頃ですぐ手に入るしで簡単に出来るものと思い込んだのだ。かまぼこ屋さん、ごめんなさい。大雑把な取り組みでは難しい食べ物なのだ。

    話のとちゅうでお店の孔雀を食べさせて下さった。たべるとキシキシいうといわれてもピンとこなかった。でも食べると本当にキシキシという音が口の中でするのだ。生まれて初めての経験だった。今まで食べたどのかまぼことも違っていた。そして何より美しかった。その断面を一番外側から色を並べると、淡い黄緑色、白、ゆで卵の縁取りのピンク色、白身の白、黄身の黄色。素晴らしい。美しい。そして美味しい。でも昔は子供の運動会とかそれこそ晴れの行事にはお母さんたちはこれを作っていたというのだ。昔の人は偉い。美味しくて美しい、ここまでたどりつくのが凄い。ごく普通のかまぼこで失敗した私には昔の人々が輝いてみえた。

    ご馳走になったお礼をあわただしく告げ、次の約束の方のところにむかう。鶴見半島の海沿いのくねくね道を行かなくてはならない。地元の人の車は普通のスピードだが、私は初めての道、探しながらの道、片側は海の道、待たせているので気持ちだけは焦りまくる道、そして何よりこのレンタカーはp.m.6時までにガソリン満タンにして駅隣接の店に返さなくてはならないのだ。そう思えば思うほど見つからない。先方に電話を入れる。「今どこですか?」「まわりにこういうところがあります」「行き過ぎです」もどる。いったいどれくらいそんなやりとりを繰り返しただろう。まわりは少し暗くなってきた。風もでてきた。