生まれて初めての福岡県への旅 それは母が生まれた場所を訪ねる旅

     母がなくなってもう30年はたつだろうか。最近よく、昔母が言っていたこんな言葉を思いだすのだ。「お父さんは手先の器用な人だった。魚をとる網を自分で修理していた」。母の父親は漁師ではない。軍人だったとしか聞いた記憶がない。その言葉からは母が父親を好きだったんだなということだけがなんとなく伝わってくるだけで、ほかに何も思わなかった。それが今、それってどんな場所なんだろう。そういえば自分は母の生まれたところがどんなとこか行ったこともないし全く知らないじゃないかと愕然とするのだ。

     今60歳、この年齢は面白い。自分の行動の判断基準がクリアになったのだ。今これをやらないと後悔するのではないか。これをやるのは、このタイミングを外してはたしてないのではないか。こういう考え方をするようになった。今までだって後で後悔しないように、と考えない訳ではなかった。でもそれは頭で、理屈で考えたものだった。でも今は過去の痛い経験値(タイミングを逃すと二度とできなくなることがある)と、日々感じる体の下降の実感(いつ体力的に出来なくなるかもしれない)の裏づけのおかげで迷いがない。先のばしにしていたものや、やろうかどうしようかともったらしているものにスピード感をもって結論が出せるようになるのだ。若者よ、60歳は面白いですぞ。

     ということで、愕然とする気持ちを解決するべく、さっそく戸籍謄本を取り寄せ、母の生まれた土地を訪ねる旅に出たのでした。