福岡の人は親切 良きものをすすめてくれる 会ったばかりの見ず知らずの私に

     博多に着いてまず何をしたか。髪を染めた。

     もう15年近く髪を染めている。白髪をカラーしているのだ。両親とも白髪だった。バタバタと東京から博多まで来るには来たが、髪の根元からはや白いものがでているのが気になって仕方がない。ずーっと気になっていたが時間切れでとにかく来た。このままで母の生まれた場所を訪ねるのはいやだ。身ぎれいにしていなくてはというより、訪ねることに集中したい。このままでは気になって仕方がない。鏡の中の自分の生え際に、白いものが染めたところからみえてくる度、あ~、また染めなきゃと思う。まだ大丈夫かな、そんなに目立ってはいないかなといちいち小さいくても判断というものを下す。そのミリ単位の白を感知してから実際に染めるまでの日々、絶えず意識はしている訳ではないが、心の底にちょっとした重さで重奏低音のように存在し続ける。誠に面倒くさい。いちいち反応する自分が面倒くさい。できるものなら、その全てから解放されたい。それがいま1センチまで成長している。このままでは生きていけない。

     駅前の大丸百貨店の美容室にオープンと同時にとびこんだ。カラーをお願いし、問わず語りに東京から福岡に母親の故郷を訪ねて来たことを話した。お客のいろんな話を聞いているのだろう。驚いたようすは特に見せず、せっかくだから柳川観光もしていくといい、ついては鉄道会社、せいろ蒸し、川下りがセットになったお得な切符があるから買うようにすすめてくれた。髪が染まると落ち着く。落ち着いて呼吸ができる。

     西鉄電車に乗り、まずは柳川へむかう。車窓から見える景色は、あんなに都会の博多から少ししか走っていないのに畑がちらほらあったりしてのどかだ。ケイトウの花が見えた。赤く背の低いケイトウが畑の真ん中に並んで咲いている。ああ、母の好きだった花だ。母はいつからケイトウを好きになったんだろう。どんなところが好きだったんだろう。私が今見ているケイトウを昔、母も子供のころ見たのだろうか。親のことって何も知らないんだな。知りたいから、知るために来ているからそれで良さそうなものなのに、でも知っているかに思っていたことも一面的だったことに胸をつかれた。

     柳川駅前の「古蓮」のせいろ蒸しは美味しかった。「観光客向きに甘さを抑えてあります」と店の人が教えてくれた。地元の人はもっと甘くしたほうがいいのだろう。でも私には有難い。バスで柳川の川下りの場所へむかう。エンターテイナーの船頭さんのおかげで1時間の川下りはあっという間だ。10人ほどのお客の最後に下りる時、とても面白かったので名前を伺った。渡辺さんとおっしゃる。驚いた。私の旧姓は渡辺。なんということもないのかもしれないが不思議。この日の夜、明日からの母の生まれた場所調べの準備をしている時、謄本に記載されている古い住所を見ていて、ふと母の誕生日の欄を見た。ん?それはまさにその日だった。それもちょうど100年前の今日。母が生まれて100年経ったその日に、娘の私がドタバタしながらえっちらおっちっらやっと東京からここ福岡県久留米までやって来たのだ。鳥肌がたった。