母が行ったかも知れない梅林寺のお祭り その向こうは筑後川だった

     ただ歩き回っていると、全体としてはどんな場所の一部を歩いているのかわからない。普段はわからないままで過ごしている。それで問題がおきる訳でもない。今回の福岡の旅の要、母のうまれた所を後で地図で確認すると、すぐ近くに筑後川がある。謄本に載っている昔の住所から割り出した現在の場所、そこばかりに気をとられて、それこそ歩いて2,3分の向こうに筑後川があることに気がつかないまま東京に帰ってきてしまった。

     その川は昔はどれくらいの大きさだったのか、地図ではすぐ近くに橋がかかっているが母も渡ったのだろうか、川は母にとってどんな存在だったのか。今更そんなことを考えている。もっといえば、母が生まれた大正4年とはどんな時代だったのか。どんな事を感じながらどんなことを考えながら暮らしていたのか。

     梅林寺の入口近くまでは偶然行っているのだ。中には入らなかったが、このあたりは梅の木が多いのだろうか。母の生まれた家の現住所も梅満町だ。梅。だいぶ離れているが大宰府天満宮にも梅の木が沢山ある。東京に帰る日、ここにお参りして外国からの観光客の多さに驚いたが、参道にある茶店で食べた梅が枝餅には梅の花が押されていた。

     小説のなかでしか、またはニュースでしか、あるいは地図でしか認識したことのなかった筑後川。北海道の旭川で生まれた私。近くを流れる石狩川。でも生まれてすぐ札幌に移り川の記憶はない。母には筑後川は身近だったろう。子供時代を過ごしたのだから。その遺伝子は私の中にあるはずなのだ。気がつかなくても。