母の生まれた家はすでになく でも近所のお米屋さんのおかみさんの顔の骨格は母にそっくり

     今日は雨。柳川古文書館にむかう。昔の地名表記の鳥飼村が今のどこにあたるのか教えてもらわなくてはならない。そんなに時間がかかることなくすぐわかった。ありがたい。今は久留米市梅満町だそうだ。それがわかれば鬼に金棒だ。

     西鉄久留米駅から歩くことにした。広又通りをひたすらまっすぐ歩く。バスが通り過ぎていく。ほとんど人は乗っていない。歩く人もまばらだが、この初めての縁のある土地を感じたい。それには歩くのがいい。30分も歩けばつくだろう。JR久留米駅は大きい。駅前ロータリーも大きい。でっかいタイヤ、私の身長の倍くらいもあろうかというタイヤが飾ってある。久留米はブリジストンの発祥の場所だったんだ。大きな工場の外壁にアサヒゴムとか月星の文字が見える。ゴムの街だ。

     肝心の梅満町。記載されている番地に同じ苗字はない。近所のお米屋さんで聞いてみるが知らないという。疲れた。歩き疲れと気持ちの疲れ。お米屋さんにアイスのケースがあった。冬だが他にここで時間をかせげるものが見当たらない。もう少し話を伺いたい。アイスを買いかじりながら、母の生まれた家をたずねて東京からきたことなどを話す。地元の人だという。私より少し年上の女性。このお店に来る少し前に見かけた神社では、むかし盛大なお祭りがあり、子供のころいつも楽しみにしていたそうだ。母が子供の頃も、そのお祭りはあったような気がしてくる。母が浴衣を着て楽しんでいる姿が見える。一緒に写真に写ってもらった。その時は話すことに必死で気がつかなかったが、あとで見るとその人の顔は作りが母そっくりだった。