追伸 大宰府天満宮の参道の喫茶店「風見鶏」を忘れていた

     2拍3日福岡の旅の間に行った喫茶店を振り返るなかで、大宰府天満宮の参道にある「風見鳥」を忘れていた。何故だろう。最終日は東京へ帰らなきゃいけない、飛行機の時間もあるしで気が急いていたのだろうか。喫茶店好きの私としたことが。

     というより、宿をとっていた久留米から大宰府までが遠かった。行くだけで時間と乗り換えとでふーふー感じていた。それは住宅地をひたすら通るバスだったり、その道も狭かったり。意外とこういう積み重ねは思うより消耗した気がする。本当に着くのだろうか、目的地に、そんな感じを抱きながらの移動だった。実際にかかった時間以上の小さな疲れが着いた時点でもうあった。そして沢山の異国の人達。その人達に好奇心を感じてしまう自分。食べたい梅が枝餅、行きたい喫茶店「風見鳥」、食べたい久留米ラーメン。疲れていても、時間に限りがあっても予定していたものは体験したい。面倒な自分。とどうなるか。帰ってきてから時間をおかず振り返っておかないと、今回のように行ったことすら忘れることになる。

     何を飲んだか、何か食べたか食べなかったか覚えていない。思い出せない。非常に残念だ。たぶん珈琲だと思うが心もとない。店の雰囲気は覚えている。好きな店だ。それはいいが、そこにいる自分をはっきりとは思い出せないのだ。こういう経験はあまりない。好きな珈琲を飲んでいる自分の姿があったのに記憶の中にはない。旅は時間をおかず振り返れば、こういう悲しさを繰り返さずにすむのだろうか。