食べる時は味を考えている

 子供の頃食事の時は黙って食べなさないと父親に言われて育った。食事の時間は特に楽しくもなかったが、苦痛でもなかった。黙って食べる分、味に集中して、考えながら食べていた。これは美味しいとか、またこれかとか、これは美味しくないとか、初めての味だなとか。しゃべりながら食べても感じることかも知れないが、抱いた感情が全く薄まらないのだ。増幅もされない。味に集中出来た環境は食いしん坊の私にとってある意味幸いだったのかも知れない。

 今、普段なかなか食べる機会のないものを奮発して食べて、後でその時の味の記憶がないとき、本当に泣きたくなる。いったい何のために食べたのかと。人にも伝えられない。伝えるために食べる訳ではない。でも美味しいものは伝えたい。それが覚えていない。何故か考えると話に夢中になっていたからだとわかる。二つのことを同時にしようなんて無理だ。まして両方共楽しく嬉しいことなら出来る訳がない。楽しくてワハハッと笑って味わうのを忘れて飲み込む。それがトリュフだったりして、後でどんな味だったと問われても答えられない。 

 今コロナ対策としてあまり喋らず横並びで食べることが勧められている。何だか寂しい感じがしないでもない。でもその静かな食事環境の中で、味の新たな発見があったりもするのではと思う。